日本の最高裁が、近々、「夫婦は同じ姓を名乗る」とする民法の規定が憲法違反かどうかについて、初めての憲法判断を示す見通しです。
情報源:http://www.asahi.com
「選択的夫婦別氏制度」については、以前から活発な議論が行われてきました。
法務省ホームページには、以下の説明があります。
選択的夫婦別氏制度とは、夫婦が望む場合には,結婚後も夫婦がそれぞれ結婚前の氏を称することを認める制度です。
法務省においては,平成3年から(中略),婚姻制度等の見直し審議を行い,平成8年2月に,法制審議会が「民法の一部を改正する法律案要綱」を答申しました。同要綱においては(中略)選択的夫婦別氏制度の導入が提言されています。
この答申を受け,法務省においては,平成8年及び平成22年にそれぞれ改正法案を準備しましたが,国民各層に様々な意見があること等から,いずれも国会に提出するには至りませんでした。
引用元:http://www.moj.go.jp
ようするに、法務省で「選択的夫婦別氏制度」のための議論を20年以上前からやっているのに、制度の導入は見送られたままだったのが、16日の憲法判断の内容次第では状況が一変する可能性が出てきたため、大きな注目を浴びているわけです。
(本記事では便宜上「氏」ではなく「姓」で統一します)
そもそも夫婦別姓とは
コトバンクに以下の定義がありました。
夫婦別姓(知恵蔵2015)
結婚後、夫と妻で別の姓を名乗ること。
(山田昌弘 東京学芸大学教授 / 2007年) 出典:https://kotobank.jp/
なるほど、非常にシンプルです。
現行の日本民法では夫婦は同じ姓を名乗ると定められています。
山田先生の説明には続きがあります。
古来日本は、現在の中国や韓国と同じく、夫婦別姓が原則であったが、明治民法制定時、欧米に倣い夫婦同姓制度が確立した。戦後、家制度の廃止後も夫婦同姓は残り、現在、約95%が結婚後は夫の姓となっている。
とあります。「古来日本は、現在の中国や韓国と同じく、夫婦別姓が原則であった」かどうかは、疑いもあります。(参考:http://www.asahi-net.or.jp/)
しかし、ここで注目したいのは「欧米に倣い夫婦同姓制度が確立した」という指摘です。明治期に戸籍を整備する際、夫婦は同姓であるべきか別姓であるべきかで疑義が生じ、結局、欧米に倣い夫婦同姓を選択したというのが大方の説のようです。
ならば、イタリアでも夫婦同姓だったのか、今は本当に夫婦別姓なのか。
この機会にそれを確認してみたいと思います。
イタリアの夫婦の姓
イタリア人と結婚された複数の日本人の方が、ブログで「イタリアでは夫婦別姓です」と書いてらっしゃいます。経験に基づいているので説得力がありますが、その法律的な根拠となると、日本語で検索しただけでははっきりしません。
イタリア民法第143の2条には次の規定があります。
Articolo 143 bis – Cognome della moglie
1. La moglie aggiunge al proprio cognome quello del marito e lo conserva durante lo stato vedovile, fino a che passi a nuove nozze.第143の2条 妻の姓
1. 妻は自ら姓に夫の姓を加える。また、未亡人である間も、新しい婚姻をおこなうまでそれを維持する。
つまり、結婚すると夫の姓はそのまま、妻は自分の姓に夫の姓を加えます。イタリアの民法には、夫婦別姓を明示的に規定する条文はなく、ただ、このように書いてあるだけです。
これだけでは、夫の姓を加えるのは選択の余地のない義務なのか、それとも、選択的な権利なのか判然としません。
しかし、判例等の積み重ねで、実務上はかなりはっきりしているようです。
破毀院(最高裁判所)は、1961年7月13日の判決で、妻は婚姻で本来の姓を使用する権利を失うのではなく、夫の姓を使用する権利を得ると判断しました(1975年に民法第143の2条の規定が設けられる前)。
参考:http://www.jstor.org/
1997年には、国務院(行政訴訟控訴裁判所)が、既婚女性の人物特定には、未婚時の姓のみを使用するべきとの意見を出しました(parere n. 1746/97 del 10 dicembre 1997)。
また、イタリア外務省は、パスポートが光学読取式が変更された1998年に、「既婚女性が夫の姓をパスポートに記載するのは任意」という趣旨の通達を出しました(circolare dei Ministro degli esteri n. 2 del 6 marzo 1998)。
情報源:http://www.senato.it/
信頼できそうな他の情報をいろいろ読んで総合すると以下のようです。
妻は夫の姓を自分の姓に加える義務を負うのではなく、夫の姓を使用する権利を有する、と解釈されている。
妻が自分の判断で、夫の姓を名乗りたければ名乗ればよいし、Rossi Monti と言う風に二つの姓を繋げて使っても構わない。ただし、婚姻前の姓を失うわけではない。
行政も、任意で身分証に夫の姓を記載することを認めている。したがって、日本の「通称」よりも公信力が高い。
籍を入れたことで、妻の姓が他国で行われているような複合姓(例:Rossi Monti または Rossi-Monti)に自動的に変わるわけでない。法文はそう読めなくもないが、実際にはそのような運用はなされていない。実際に妻が戸籍上の姓を複合姓にしようとすれば、煩雑な改姓手続きが必要になる可能性あり。
夫には婚姻を理由に姓を変更する義務も権利もなく、婚姻前の姓を維持する。
主な情報源(弁護士さんの書いたものです):http://avvertenze.aduc.it/
要約すると、妻にだけ夫の姓を公的に使用する自由を認める、やや変則的な夫婦別姓のようです。
旧法は?
この民法第143の2条が1975年に導入される前には以下の条文がありました。
Art. 144. (Potesta’ maritale).
Il marito e’ il capo della famiglia; la moglie segue la condizione civile di lui, ne assume il cognome ed e’ obbligata ad accompagnarlo dovunque egli crede opportuno di fissare la sua residenza.民法旧144条
夫は家長である。妻は夫の市民的身分に従い、夫の姓を名乗る。また、夫が住居を定めるのに適切と信じる場所で夫に同伴する義務を負う。
妻は夫の姓を名乗るという、有無を言わせぬ規定が1975年までありました。確認したところ、1942年の現行民法の前の1865年の旧民法第131条にも全く同じ文言の規定があるので、日本の時代感覚で言えば、少なくとも明治になる直前から1975年まで、ずっとこの規定が有効だったことになります。
イタリアでは1975年までは夫婦同姓で、しかも、男性の姓と決まっていた、とひとまず言えそうです。たとえば、マリオ・ロッシさんと結婚したマリア・ヴェルディさんは、婚姻後はシニョーラ・ロッシと名乗ることが法律の定めでした。
だた、ここで留意しておきたいのは、日本の民法のように姓を改めることを明確に求めているわけではない点です。そのため、結婚して夫の姓を名乗ることで、妻はもとの姓を失うのかどうか、この文言だけではわかりません。
そして、上記の1961年の破毀院判決で、妻は婚姻後ももとの姓を失わない、との判断が下されます。
グーグル画像検索をすると、昔の身分証の写真がたくさん出てきます。その中の一点。
(この身分証はレジスタンスでなくなった方のもので、公的なサイトに特別に展示されています)
一番上の姓の欄にはVenturoli、父の欄にはFerdinando、母の欄にはRosa Pancaldiと記載されています。他の身分証を見ても、母の欄にはかならず本人のものとは異なる姓が記載されています。父の姓は本人と同じのため記載がありません。
これらのことから、1975年以前も、妻の婚姻前の姓は、公的な文書に記載される「生きた」身分情報だったと理解できます。それに対し、日本の場合、婚姻時に姓を変更すると、旧姓は戸籍に記載されるものの、身分情報としては、表に出てこない「旧情報」として扱われます。
イタリアの1975年までの夫婦同姓は、日本の戸籍制度における厳格な夫婦同姓とはかなり性質が異なっていたと言えそうです(江戸時代までの日本に近いかも)。
日本が見習ったフランスやドイツの旧法は判りませんが、イタリアの旧法を見た限りでは、「明治の日本は西洋を模倣して夫婦同姓を導入した」という説も疑ってかかるほうがよいような気がします。
子供の姓
日本における夫婦別姓の議論の中では、子の姓をどうするかも、重要なテーマになっているようです。イタリアでは子の姓に関していろいろ新しい動きがあるようなので、また日を改めてアップします。
まとめ
イタリアではかつて妻が夫の姓を名乗る形の夫婦同姓だった。ただし、日本の制度ほど厳格ではなく、妻はもとの姓を自己の身分情報として維持していた。
1975年に、妻が夫の姓を名乗ることを規定する民法条文が廃止され、夫婦別姓に移行した。改正民法の文言は、妻が夫の姓を自分の姓に加えて使用することを義務づけているように読めなくもないが、実際の運用では完全に任意であり、夫婦別姓が定着している。
ただし、妻が夫の姓を使用することは認められている。これは、妻が夫の姓を名乗っていた伝統への配慮でもある。妻が夫の姓を名乗る場合も、旧姓を失うわけではなく、どちらかまたは両方を選択的に使用することができる。妻は、パスポートなどの公的な身分証にも、夫の姓を追加的に記載することができるので、希望すれば、生活の様々な場面で、問題なく夫の姓を使うことができる。
夫には妻の姓を自分の姓に加える規定はない。したがって、選択的に妻の姓を使用することも想定されていない。
一言で言うと、イタリアの制度は夫婦別姓をベースに、社会生活において夫婦同姓が可能となる余地を残したもの。今の日本の、夫婦同姓をベースに「通称」に よる夫婦別姓の余地を残している制度のちょうど裏返しになっているように思われます。
カバー写真出典:http://www.glutenfreetravelandliving.it/
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